人生入門 

生と死の問題を解決して人生の門に入る方法を探る記録です

僕の中の反出生主義

 苦痛がどうのこうのってのはおいといて、僕は「どうせ産んでも死ぬ」の一点で出生は無意味だと思う。ただ僕は「主義」にして群れたりはしない。(僕の宗教的信念は置いといて、近代的意識で考える)

 僕の中にも反出生主義者はいる。僕は子供はいらない。なぜなら「面倒だから」「責任をとりたくないから」もしもの仮定だけど、誰かに子種だけ分けて欲しい、認知しなくていい、面倒も見なくていいって言われたら、子供を作るかもしれない。「自分の子供がどこかで生きてる」って意識は多分気持ちが良いだろうから。僕はエゴイストだ。
 
 僕はうつ病だった経験があるので、反出生主義者の気持ちは分かる。親に「世間はそんなに甘くないよ」と言われるたびに「じゃあ産むなよ…」と思っていた。生まれたくなかったと何度も思った。こんな残酷な世界に子供を産み落とすな、という思考もよくわかる。僕はペシミスティックなところがあるので、基本的には反出生主義と共鳴する部分が大きい。だからこそこんなに攻撃してしまうのだと思う。

 ベネターのように、「心から」人類はゆるやかに絶望したほうがいいと思っている人に対しては、「優しい人だなあ」と思う。けれどもツイッターにいるような反出生主義者には、僕はこう言う。「腹底から喋れよ!」「自分の言葉で語れ!」
 
 「普通の人」は反出生主義者にならない。「不遇な人」が反出生主義者になる。僕はここで哲学を話すつもりはない。普通のことを書く。
反出生主義「人類は出生をするべきではない」
普通の人「どうしたの?疲れてるの?生まれてきたくなかったの?」
 反出生主義者は「生まれてきたくなかった」という感情を思想に仮託している。「世界人類の苦痛をなくすために」という崇高な思想に仮託している。僕は端的に言おう。「卑怯だ。」

 誰でも思ってると思うけど、世界中の人が幸せならそれにこしたことはない。そして反出生思想を持っている人が幸せになれるかというと、それは怪しいと思う。「生まれてきたくなかった」を加工して「世界人類のために」という論理を作ってその「正しさ」を証明していく。「お前はどうなんだ?」
「自分は惨めだ」という思考を再生産するだけだと思う。そういった思考は捨てたほうがいい。瞑想をすれば捨てられる。

 僕は「生まれてきたくなかった」という思いと戦っている最中なのだと思う。僕は生まれつき精神障害を持っているし、体も弱くて10回弱手術した。
 だから反出生主義者が憎い。信仰をして、「人間に生まれたかいがあった」と思えるように戦っている。反出生主義者のように「出生は悪だ」と裁いていっても「己」は幸福にはなれないと思う。その意味で、僕はこの思想は有害な思想だと思う。

 反出生主義者!腹底をぶちまけろ!生まれてきたくなかった?瞑想をしろ!第三世代の認知療法をしろ!きっとよくなる。思想は捨てられる。思想を捨てよ、自然を見よう。